16 偏向した音楽私観蹊・・・偏向した音楽私観今週の月曜日 排水溝に右足を突っ込んでしまった。 朝から頭がボーっとしていて。 動けないので休暇を取ったのだけれど。 夕方届いてた「回覧板」を 隣ん家(ち)に届けた帰り「溝」に落ちた。 幅2cm、縦3~4cmに渡って 右足脛(弁慶の泣き処?)の肉が削げてしまった。 慌ててお医者さんに飛んでいったのだけれど。 「皮膚が再生するのを待つしか方法が無い」と言われた。 骨折してたり、 派手に脚が裂けてたりすれば、 多分・・入院である。 そうすりゃ。 取り敢えず喰いモンにゃ困らないし、 職場への言い訳もすこおしは楽になる。 でも。 これ位の症状なら、 一応、立てるし、 一応、生活するのに問題はない。 ただ。 「無茶苦茶に痛い」と云うだけである。 そのため。 火曜日からズーっと その日の症状を訴えて・・仕事を休んでいる。 「明日になれば。明日こそは。・・何とか職場へ」 まるで。 「翌桧(あすなろ)の木」になった気分で。 こー云う状態なので。 自転車や歩行は・・無理。 「アクセル・ワーク」が出来ないので 自動車の運転も出来ない。 だから。 「移動手段」は、原動機付自転車しかない。 「脛(すね)にキズを持つ身じゃ、お天等(おてんと)さまの下は全うに歩けない」 って気持ちが・・すこおし判ったよーな気がする? 週末の金曜日は 朝から小雨がパラついてた。 右脚に力が入らない状態で 不安定なバイクに跨り トラック群と競争しながら 片道1時間の濡れた路面を走る自信は・・ない。 そこで。 脱力感一杯に日記を書き始めたのだけれど。 「このクソ忙しい時期に休暇を重ねてる」 なんて・・「考えるだけ」で精神的にヤバイ。 唯でさえ。 「うつ」の状態が不安定だってのに。 だから。 「通院」と「眠ってる時」以外は。 「音楽」を聴いている。 「くらしっく・まにあ」の方には常識だろーから。 俄仕込み(にわかじこみ)の知識をヒケラカス心算はないのだけれど。 それに。 小難しくって・・私には良く判らないしっ! 「ぶらーむす」が「絶対音楽」の「最高峰」で、 「わーぐなー」が「標題音楽」信奉者の「信仰の対象」・・らしい。 私は。 「バーンシュタイン」指揮で「ジノ・フランチェスカッティ」がソロ・ヴァイオリン。 「ニューヨーク・フィル」の「ぶらーむすヴァイオリン協奏曲ニ長調」を聴いた時・・身が震えたし。 「フルトヴェングラー」指揮で「ウィーン・フィル」が奏でる「わーぐなー『ローエングリン』第1楽章への前奏曲」の、「透き通るようなヴァイオリンの協奏」に・・涙ぐんだ。 野原を駆け抜ける微風の音 岸壁を駆け上がる突風の切り裂く音 台風の暴風に軋む梁の悲鳴 そして。 幼い頃の家族で囲んだ食事の音 そんなものを表現するのに。 「唯、音楽は音楽として表現する」とか 「その表層や心情を音楽で表現する」とか 「屁理屈」付けても・・意味ねーんじゃないの? 「音楽」を聴いて。 「微風」を感じられれば爽快だし 「突風」や「暴風」なんて不安を呼び起こす。 「家族団欒」の暖かさならフッと力が抜けていくのだろう。 それに。 ベルリオーズが、「ヤク」でラリって作曲した「幻想交響曲」を 「詩と霊感」の最たるモノって、ヒジョーに哲学的な「標題音楽」の代表作にしてるらしい・・が。 気は・・確かなのか? そんな「方々」には。 涎垂らした「ヤク中」の戯言が、「リルケ」の愛の詩に聴こえるのかしら。 まぁ。 「幻想交響曲」は聴いたことないので良く判らない・・し。 「ヤク中」の曲って。 すこおし魅力的だから・・一度は聴いてみたいのだけれど。 兎に角。 私は。 「音楽は音楽として楽しめば良いんじゃないのかしら。」 と思ってる。 そーして聴いていると。 「ばーんしゅたいん」は、確かに上手い。 「にゅーよーく・ふぃる」ですら・・見事に鳴っている。 「ほるすと・しゅたいん」や「いっせるしゅたっと」の「うぃーん・ふぃる」は まぁ・・「綺麗な音色」を、「正確」に奏でてはいる。 「わるたー」の「まーらー交響曲第9」は あの「うぃーん・ふぃる」が、自由に、楽しげに謳ってる。 思わず・・微笑んでしまうくらい。 でも。 「からやん」の「べるりん・ふぃる」 「べーとーべん交響曲第5」は其れなりに迫力があるが 「どぼるざーく交響曲第5」は・・まるで駄目。 「民謡的な音色」を「べるりん・ふぃる」のホルンは、中途半端に吹き流していまう。 オケは、 そんな「静かに聴かせる部分」を軽視して 「盛り上がる部分だけ」に集中していく。 「べるりん・ふぃる」は、指揮者に忠実で練習熱心。 「うぃーん・ふぃる」は、指揮者によっては馬鹿にして言う事を聞かず、練習嫌い。 って・・聞く。 だから。 「うぃーん・ふぃる」は、団員が納得した指揮者でしか、決して美しく鳴らないし。 「べるりん・ふぃる」は、指揮者の個性を忠実に再現するよーだ。 だとすると。 「からやん」ってオッサンは 「自分の激情」を「他人(ひと)に勝手に押し付けるヒト」なのだろう。 だから。 「テメエじゃ何も考えられない日本人」には・・ウケるのだろうけれど。 そーして。 「ふるとべんぐらー」 戦時中1944年の録音「ウラニア社盤エロイカ(うぃーん・ふぃる)」は気に入らない・・し 戦後1951年の「べーとーべん交響曲第9」なんて 寄せ集めの「ばいろいと祝祭管弦楽団」じゃ・・如何しようもないのだろうけれど。 戦後1952年の録音「エロイカ(べるりん・ふぃる)」は・・泣かせる。 第1楽章の後半部分。 フルートが奏でる静かで「美しい調べ(エピソード)」に泣きそうになる。 そして。 「葬送行進曲」なのに、第2楽章の後半部分の「小鳥が飛び交う」ような軽やかな調べ。 「べるりん・ふぃる」が 「微(かす)かな音符」を慮(おもんばか)って繊細に音色を紡ぐ。 「凄い」と・・思わず唸ってしまう。 「終わった」と思うと繰り返す「べーとーべん」の「底意地の悪さ」は、如何しても好きになれないのだけれど。 1949年から54年にかけて録音された「わーぐなー(うぃーん・ふぃる)」。 「たんほいざー序曲」の見事さは云うまでもなく 「ろーえんぐりん第1章への前奏曲」の凄さ。 幾つかの「ヴァイオリン独奏」と幾つかの「ヴァイオリン部」の協奏。 あたかも「天国に居るような調べ」に・・愕然とする。 「うぃーん・ふぃる」の真骨頂である。 でも。 「わるきゅーれの騎行」は 独特の「うぃーん・ほるん」が・・酷く「間抜け」に聴こえてしまうのだけれど。 だから。 「ふるとべんぐらー」指揮で、忠実な「べるりん・ふぃる」が演奏する「わーぐなー」を聴く。 なんて・・スッゴク贅沢なことじゃないか。 あの。 「ひっとら~」が夢中になったのが・・判るよーな気がする。 「からやん」は、「自分の激情」を他人に押し付け 「わるたー」は、オーケストラの素晴らしさを引き出し 「ふるとべんぐらー」は、「聴かせ処(泣かせ処)」のツボを押さえ、「聴き手」に最高の満足感を与える。 まぁ。 「寅さんシリーズ」の山田洋次監督のよーなもの? 何か。 素人の私には・・そー聴こえた。 今の我が国の優秀な方々には。 「ふるとべんぐらー」や「わるたー」じゃなく 「からやん」のよーなヒトばかり。 って感じてしまうのは 私の「僻(ひが)み」なのかしら。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|